経営の神様 松下幸之助(中)

経営の神様 松下幸之助(中)

前回に続いて、松下幸之助について紹介します。

 

会社の社会的使命に気付く

1932年に幸之助は、知人に誘われ天理教本部を見学する。信者らの献身的で無報酬での仕事ぶりや熱気を感じ、啓発され、後に「真使命宣言」を行っている。

 

「真使命宣言」では、「産業人の使命は貧困の克服にある。社会全体を貧しさから救って、富をもたらすことにある。」会社の社会的使命を宣言し、同時に、「企業人が目指すべきは、あらゆる製品を水のように無尽蔵に安く生産することである。これが実現されれば、地上から貧困は撲滅される。」という有名な「水道哲学」を披露している。

 

1933年幸之助は、自らの経営理念を明文化した。それが、「松下電器の遵奉すべき精神」であった。それも、J&Jの「我が信条」が発表される10年前のことであった。

 

  • 産業報国の精神---品質の高い製品とサービスを適正な価格で提供することによって、社会全体の富と幸福に寄与すること。
  • 公明正大の精神---取引においても個人の振る舞いにおいても公正と誠実を旨とし、常に先入観のない公平な判断を心掛けること。
  • 和親一致の精神---相互信頼と個人の自主性を尊重したうえで、共通の目的を実現するための能力と決断力を涵養すること。
  • 力闘向上の精神---いかなる逆境にあっても企業と個人の能力を向上させ、永続的な平和と繁栄を実現する企業の使命を達成すべく努力すること。
  • 礼節謙譲の精神---常に礼儀正しく謙虚であることを心掛け、他人の権利と要求を尊重することによって、環境を豊かにし、社会秩序を守ること。

 

1937年にさらに2つの“精神”が加えられた。

 

  • 順応同化の精神---自然の摂理に従い、常に変転する環境条件に合わせて思想と行動を律することによって、あらゆる努力において、徐々に、しかし着実な進歩と成功を収めること。
  • 感謝報恩の精神---受けた恵みや親切には永遠の感謝の気持ちを持ち続け、安らかに喜びと活力を持って暮らし、真の幸福の追求の過程で出会ういかなる困難をも克服すること。

 

幸之助は、この経営理念を毎朝の集会で従業員に大声で唱和するよう通達した。そして、幸之助自らが使命と経営理念を深く信じて率先して行動することで範を示した。

 

事業部制の採用

1933年事業部制を考案し、会社を製品ごとに再編した。そして、個々の利益を追求するのではなく、共通の利益のために働く、つまりより大きな幸福に重きを置くという強力な企業文化を創りあげ、各グループの求心力を強めることに成功している。
この事業部制採用によって急速な成長が始まった。また、この頃から「経営能力のある人材の育成」にも力を入れ始めている。

 

この後、大東亜戦争と敗戦があった。
敗戦により、松下電器は、生産中止、財閥指定を受け壊滅状態。さらに、幸之助自身も会社から追放されたが、戦後2年目にして、松下電器の労働組合と販売代理店の請願により、幸之助の会社復帰ができることとなった。しかし、経営権を取り戻したのは4年後の1950年であった。

 

この間、松下電器の経営幹部のモラル(士気)が低下し、経営理念である7つの綱領が、朝の集会で読み上げられなくなっていた。幸之助が経営に復帰後、朝の朝礼で綱領の唱和を復活させたところ、事業は再び軌道に乗り始めたという。

 

幸之助が、現役復帰した1950年代から1960年代にかけて朝鮮戦争特需もあり、日本経済は破竹の勢いで上昇していった。その牽引役の一つが松下電器であった。

 

1956年の経営方針発表会で5年間で売り上げを4倍にするという攻撃的な売上目標を発表した。
ことき付け加えた言葉が「売上4倍増の目標は名声や儲けを求めるためのものではなく、あくまでも、製造業者が社会に対して負っていると私が信じる使命を達成するための手段である」というものだった。

 

トヨタ自動車が松下通信工業(当時)の自動車ラジオ事業に対して、半年間で15%の値下げを要求してきた。ラジオ事業部の経営陣の不満にたいして、「我々は今、世界の中でとりわけ激化するアメリカとの貿易競争に対処するために、日本に何が必要なのかを議論している。我が国の主要輸出産業は自動車です。アメリカと対抗するには、に本社を手頃な価格で買えるようなものにしなければならない。……トヨタから要求があるまで、手をこまねいていてはだめなのです。こうした要求を予測し、それに合わせられるように準備しておかなければならないのです。」と幸之助は指示している。

 

こうして、経営方針発表会での無謀にも思える売上目標(220億円から800億円)は、5年ではなく4年で達成してしまった。

 

その後、松下電器は、率先して週休二日制や欧米並みの賃金を実現していった。
幸之助は、こうした経営に際し、「素直な心」と「衆知」を重視した経営を行っている。

 

続く