「成功哲学」を体系化した男 ナポレオン・ヒル

「成功哲学」を体系化した男 ナポレオン・ヒル


「成功哲学」を体系化した男 ナポレオン・ヒル

 

ナポレオン・ヒルは、ご存じの通り鉄鋼王アンドリュー・カーネギーに出会い、カーネーギーから乞われて、20年かけて500名を超える成功者へのインタビューを通じて「成功哲学」を体系化したことで有名です。

 

ナポレオン・ヒルは、1883年10月26日バージニア州ワイズ郡で長男として生まれ、少年期はピストルを振り回すワルで地元では厄介者だった。

 

ナポレオンに人生の目標を与えたのは、継母のマーサだった。

 

マーサは、根気よく問題児だったナポレオンと個人的な関係を結んでいき、
ナポレオンが11歳になった時、マーサはナポレオンに「問題を起こすそのエネルギーと時間を何かもっと意味のあること、読書と執筆に費やせば、人々に影響を与える文筆家になれるかもしれない」と諭した。

 

また、12歳の時、マーサから「もし、ピストルと同じぐらい上手にタイプライターを操れるようになれば、あなたは富を手にし、世界中に名を知られる人物になれるかもしれない」と言われ、
ナポレオンは、ピストルの名人からタイプライターの名人に変身を遂げていった。

 

こうして、文才に目覚めたナポレオンは、小さな新聞記者として大活躍。

 

ついで弁護士エイアースのもとで簿記係の職を得たナポレオンは早朝に出社し、誰よりも遅く帰路についた。勤務時間中も休みなく働き続けた。
ナポレオンは、見返りを期待せず、プラスアルファーの努力する心構えを持っていた。

 

その後、22歳の若さで木材会社の共同経営者に抜擢されるも、2年後株式市場の暴落の影響で会社が倒産。

 

次に、“Bob Taylor’s Magazine”の出版元でインタビュアーとしての仕事を得る。

 

そして25歳の時、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーに出会い、心が無限の力の源泉であること、そしてその心を統御する必要性を学んだ。
この時、カーネギーから成功法則の体系化を依頼される。それも20年間無報酬で!!

 

このときの会話が、ナポレオンが自己啓発書として体系化し、ロングセラーとなった“Think and Grow Rich”(邦題「思考は現実化する」)の基礎となった。

 

ナポレオンは、約束通り20年後に“Low of Success”をまとめ上げ、2年後に出版された。そして、約30年後に“Think and Grow Rich”を完成させているが、この間順調だったわけではない。

 

ナポレオンは、成功哲学の体系化に取り組みながらも、何度も失敗・挫折・苦難を経験している。

 

・自動車会社に職を得る(27歳)。
 ⇒事業の拡大しすぎで破綻、会社は銀行に接収される。
・キャンディー会社設立(30歳)
 ⇒共同経営者に裏切られ、乗っ取られる。
・“Hill’s Golden Rule”を発行(37歳)
 ⇒パートナーから編集権を奪われる。
・囚人向け通信教育施設を組織(39歳)
 ⇒自ら採用した役員2名の堕落により破綻(乗っ取られる)
・友人メレットと成功に関する書籍出版のための合弁会社設立(43歳)
 ⇒麻薬・酒を密売していたギャングに命を狙われる。
・“Low of Success”をまとめ上げる(45歳)
 ⇒世界大恐慌で最も苦しい財政難に(1929年)
・妻フローレンスと離婚(52歳)
・新たな妻、ローザ・リーの協力のもと“Think and Grow Rich”が完成(54歳)
 ⇒ローザと離婚、すべての権利をやむをえずローザに譲渡。

 

ナポレオンは、これらの挫折のたびに挫けず大きな教訓を得て、更なる成功を収めている。

 

その教訓とは

  • 他人の成功に対する嫉妬
  • 物質に執着してはいけない
  • 内なる声、もう一人の自分の発見
  • 与えた以上のものを受け取ってはならない(代償の法則)
  • 心の平安こそが発展を促す(平静心)

 

このころ、72年もの間、家族によって秘されていた「悪魔を出し抜け」を執筆していた。この書は、霊的覚醒(悟り)なしには現せない内容である。一読に値する。

 

その後、アニー・ルーと再婚(59歳)

 

1953年に“Science of Success”(成功の科学)及び“How to Raise Your Own Salary”(邦題「アンドリュー・カーネギーのビリオネア養成講座」を出版した。

 

その後も講演活動や出版を重ね、1962年に妻のアニーと共にナポレオン・ヒル財団を設立している。

 

1970年11月8日、87歳で帰天。