世紀の大富豪で自動車の育ての親 ヘンリー・フォード

世紀の大富豪で自動車の育ての親 ヘンリー・フォード

ヘンリー・フォード(Henry Ford 、1863年7月30日- 1947年4月7日)は、アメリカ出身の企業家、自動車会社フォード・モーターの創設者である。カール・ベンツが自動車の産みの親であるなら、自動車の育ての親はヘンリー・フォードとなる。遺産のほとんどをフォード財団に遺し、慈善事業に貢献した。

 

フォードは、見習いの機械工から、エンジン技術者を経て一旦はエジソンの照明会社に入社している。

 

その後、自動車の製造に成功し、「一般大衆でも買える自動車をつくりたい」という夢を実現すべく、自動車会社「フォードモーター」を創業した。

 

フォードは、上述したように「従業員の給料でも自動車を買えるようにしたい」という念いから、T型フォードを開発し、黒色のみの一車種を大量生産してコストダウンを図り、安く販売できるようにした。まさに、信念と情熱の人であった。

 

フォード社は、大量生産のためにベルトコンベアを導入してフォード生産方式を打ち立てたことでも有名である。フォードは、工業製品の製造におけるライン生産方式による大量生産技術開発の後援者でもあった。
(これが、後にチャールズ・チャップリンの映画「モダン・タイムス」によって痛烈に風刺された)

 

フォードは、まず「考え」ありきで、「思いの先行性」が事業成功の鍵であるといっている。
鳥のように“空を飛びたい”という強い思いから飛行機が生まれたように。また、松下幸之助の「水道哲学」や「ダム経営」のように、「こうしたい!」という強い思いがまずなければならない。京セラの稲盛和夫さんも松下幸之助のこの経営思想を受け継いだ一人だといわれている。

 

フォードは、この「考え」によって、事業成功や自己実現へと至るプロセスを短縮することができると述べている。
また、金儲けのことばかり考えてはいけない、それは、行為の結果にすぎない。自分が達成したいこと、「目標」「狙い」「目的」のみを考えてくださいとも述べている。

 

フォード社は、こうして1920年代には市場シェア3分の2を抑えるまで急成長を遂げた。

 

しかし、その後の15年で市場シェアが5分の1にまで急落した。

 

このような危機をもたらした原因はなにか?ドラッカーは、「現代の経営」(上)で次のようにのべている。
「ヘンリー・フォードの失敗の根因は、10億ドル規模の巨大企業を経営管理者抜きにマネジメントしようとしたところにあった。即ち、フォードの独断的なワンマン経営と秘密警察的な人事管理だった」

 

当時、フォードが必要としていたのは、技術者だけであり、マネジメントについては、あくまでもオーナーである自分だけの仕事としていたようだ。

 

フォード社の再建は、後を継いだ孫のヘンリー・フォード二世を待たなければならなかった。

 

そして、フォード社再建の鍵は、皮肉にもそのマネジメントの構築と組織化にあった。